「口パク」の英訳は「lip sync」(リップ・シンク)ではない? -日本とアメリカの国民性の違い-
「口パク」の英訳は「lip sync」(リップ・シンク)ではない
「口パク」の 英語を調べると「lip sync」(リップ・シンク)と出てくると思います。
それは決して間違いではなく、私も「口パクを英語に訳して」と言われると、「lip sync」と答えます。と言うよりそう答えざるを得ないのです。
それは口パクに1番近い英語は「lip sync」しか存在しないからです。
「文化の違いで似たような意味の言葉があるが正確にその言葉を表現できる単語が他の言語では存在しない」と言うよくあることです。では口パクとリップシンクは具体的にどのような違いがあるのでしょう?
日本語の「口パク」は 口と音とが合っていない前提
「口と音とが合っていない前提」というのは、やや極端な表現ですが、TVに出ている歌手などに対して、「 これってちゃんと歌ってるんじゃなくて口パクじゃん」や「 アニメの口の動きは口パクだから」のように、 音に合わせて口を動かそうとしているが実際は合っていない、と言うややネガティブな表現として、また「合っていない」と言う意味で使われることが多いと思います。
英語のリップシンクは音に合わせると言う前提
一方英語の「lip sync」の「sync」は「synchronization/synchronize」(「同じに合わせる」)の 省略形です。日本でも「シンクロナイズドスイミング」という名前でお馴染みの単語ですね。
このように「リップ(口)に合わせる」、と言う単語なので、 どちらかと言うと、「音と合わせようとする作業」と言う方に重点が置かれます。
とは言え英語でも「He is just lip-syncing.」のように、日本の「口パクじゃん」というネガティブな表現として使われることもあります。
アメリカと日本におけるアニメーション制作での口パクとリップシンク
英語の「lip sync」でも日本のように「口パクじゃん」というネガティブな表現として使われることもあるのなら、 なぜワザワザ2つの細かい違いを書いているのかと言うと、1番書きたかったのは、「日本とアメリカにおけるアニメーション制作での口パクに関する考え方の違い」を書きたかったからです。
日本のアニメは声と口が合っていないことが前提
日本のアニメは基本、声と口の動きは合っていません。
これは日本人の民族性なのでしょうか? その合ってないことに対して、ほとんどの日本人は違和感を感じません。と言うより許容範囲としてまったく気にしません。
よって日本の多くのアニメは、口の部分は3枚のセル(絵)のみで使い回すことが一般的です。
また、声の吹き込みも「アフレコ」と言われるように、既に出来上がった映像に対し声優が声を吹き込みます。しかもその口は3枚の絵を使って動かしているだけなので、当然声と口とが合うわけがありません。
アメリカのアニメは声と口が合っていることが前提
これに対し、アメリカ人は声と口が合ってないことに対して非常に敏感です。
よってディズニーに代表されるように、アメリカのアニメーションでは「プリレコ」と言う方式が使われるの方が一般です。
映像部分を制作する前に音声を吹き込んでおき、それに合わせるように絵を制作していくのです。
この時の作業を英語で「lip sync」と言いますが、「それに合わせるように」と書いたように、 英語でのリップシンクは口と声とを合わせるのを目的にする作業に使われるのです。「lip sync」ようするに「口の動き」に「シンクロさせる」ということです。
ちなみにアメリカでも低予算のTVアニメなどでは、これほどこだわってリップシンクが行われないケースもあります。
しかしアメリカでのアニメーション制作の基本として、口の部分のセルは5つの母音の口の形と、最低1つの子音の口の形を描くと言うのが基本として教え込まれます。
アメリカ人の音と映像の関連に関するこだわり
話はやや脱線しますが、アメリカ人の音と映像との一致にこだわる性質は、昔のアメリカのアニメーションを見ても明らかです。
昔のアメリカのアニメと聞いて、ディズニーの「Silly Symphony」(シリー・シンフォニー)や、初期の「トムとジェリー」のように、登場人物たちのセリフがほとんどないアニメーションを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
それらの作品は登場人物のセリフがない代わりに、シンフォニー調の音楽が随時バックグラウンドで流れていて、キャラクターたちの動きはその音楽に合わせて動く、と言う形で作られています。この頃のアメリカのアニメには実に多くこのような作品が存在しています。
それに対し日本ではこのような形式の作品はほぼありません。 これもやはり日本人とアメリカ人の映像と音との「シンク」に関する感性の違いなのでしょう。
また日本では外国モノの作品を吹き変えると言うことに対して寛容です。中には(私もそうですが)吹き替えが気持ち悪い、オリジナルの製作者に失礼、オリジナルの雰囲気で味わいたい、と吹き変えを嫌うこだわり派もいます。一時期そのこだわりの風潮が日本全体に広まりつつありましたが、なぜか最近では逆に吹き替え版が勢力を増している気がします。
アメリカでもかなり昔(70年代前半くらいまで)は、吹き替え版の映像がTVでよく流れていました。しかしそれは80年代からどんどん減っていき、その80年代でさえも、その口と音との動きの差が「笑いの対象」的に語られていました。
(余談ですが、この頃のヒットシリーズ、映画「 ポリス・アカデミー」でのキャラの1人を演じる声帯模写を得意とするコメディアンが、この「口と音との動きの差」を演技で表現し人気を得ました。)
映画で声と口が合っているのは当たり前ではない
現在のようにビデオカメラやスマホで映像を撮ることが当たり前の世界しか知らない世代の人は、映像と声とが合っているのは当たり前と思うでしょう。 現在では映像を撮ると同時に音も録音される、そしてそれが当たり前だからです。
それ以前のフィルム時代を知っている人でも意外と知らない人が多いのですが、映画をフィルムで制作していた時代、映像と音とは別々に撮られ、それを後で合わせていたのです。
なぜそんな事をしていたかと言うと、それは単純にフィルム撮影に使われるカメラには録音する機能がなかったからです。たとえあったとしても、音をクリアに録ると言う観点から、音は映像と別に録られていたと思います。
そんな話をすると、大昔の話のように思えるかもしれませんが、現在でも普通に観られている「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などもフィルムで撮影されていたので、音は同時に録れませんでした。と言うより、2000年前後までは、このフィルム撮影がメインで今でも完全に無くなったワケではないようです。
この映像と音を合わせると言う作業は意外と大変な作業です。 なので映画によっては先程のアニメのように「アフレコ」が使われる場合もありました。日本の映画でも昔の映画を見ると、たまに明らかにアフレコで吹き込まれている、と言うのか、口が合っていない以上に音が不自然、と言うものもありました。
しかし当時から映画制作の要にいたハリウッドでは、やはりアメリカ人気質として音と映像が合っていることにこだわり、 撮影と同時に音を収録すると言うスタイルをとりました。よく映画の撮影現場で見られるように大きなマイクを俳優の上で掲げているスタッフの人がいますね。(現在TVの端っこで映り込んでいる大きなマイクを掲げているスタッフがいるのは、それとは無関係で、音をクリアに録ると言う目的と、音だけで編集などをしやすくする為です)
まとめ
日本人とアメリカ人の音と映像の合致に関する感覚の違いと言うもの、 そしてその文化の違いからお互いの言語には対応する単語が存在しない場合が多い、と言う、トピックをクロスオーバーする話を今回はしましたが、分かっていただけたでしょうか?
最後に余談
イタリア人は口と音とが合っていないことに対して日本人のように寛容らしく、イタリアの巨匠とされる監督によって撮影された映画の中にも、音と口とが合っていないものが多々あります。 (最近はデジタルになったので逆に音と口と合わせないよ方が難しいので合わない事は無いでしょうが)
これは 映画界ではよく知られた話で、私も大学時代「イタリア人はアメリカ人と違って口と声とが合っていないことを全く問題視しない」と習いました。
そのように日本人と似ている感性だったから、第二次世界大戦に同盟を組んだんですかね〜?まさかね…
“「口パク」の英訳は「lip sync」(リップ・シンク)ではない? -日本とアメリカの国民性の違い- ” に対して1件のコメントがあります。